昨日は建国記念の日で祝日でしたね。我が家の神棚も正月に引き続き扉を開けてお神酒を上げたりしました。
建国記念の日は明治期から戦後数年間の間「紀元節」と呼ばれていました。これは日本書紀にある神武天皇の即位した日をそう定めているようです。
建国記念の日(wikipedia)
そんな飛び石連休の中日の金曜日、皆様如何がお過ごしですか?こんにちは。web担当の足立です。サラリーマンだった頃は「2月は営業日が少ないわりに月給は同じだからいいね」とか不届きなことを考えていたものですが、いざ、経営者になってみると「今月は3日も短くて売上目標達成が厳しいYO!」とか思ってほんのり仕事しているふうに見えます。
さて、本日の話題。今日は所用で熊本市電の終点、健軍町からさらに東へ向かったところにある沼山津というところに行ってきました。用事の合間に少し時間ができたので熊本の誇る維新の偉人「横井小楠」のかつての居宅「四時軒」へと行ってまいりました。熊本はかの有名な「池田屋事件」で「宮部鼎蔵」を失っており、結果、熊本は明治維新に乗り遅れることになりましたが、熊本にもこういう偉人がいたのです。彼は酒癖が悪く、誤解されることが多かったと見られ、熊本においてはあまり評価されませんでしたが、維新回天の舞台裏には彼がいたのです。
横井小楠の偉業についてはwikipediaに語ってもらうとして、今回は私が訪れた四時軒について諸々感想を述べたいと思います。
四時軒の謂れについて。九州山地を借景に四季の移り変わりを楽しむがごとく名づけられました。この沼山津の一帯はまだ田園風景で、遠くに九州自動車道が走るのと農業施設があるのを除けば、当時の風景をそのままにしていると思われます。四時軒を訪れると小楠作の漢詩が入り口に掲げてあり、その殆どが「朝に夕なにのんびりと、酒を飲んで楽しく」といった内容ばかりで、故人が偲ばれます。
今を時めく福山雅治・・・ではなく坂本龍馬が小楠を師と仰ぎ3回も議論を戦わせにやってきた居間です。ここの資料によると2人は3回目に袂を分かつたような記述があったりします。それ以外にも勝海舟が龍馬を小楠との連絡係に使っていたと言う、龍馬が海舟の小間使いだったという現実・・・ゲフンゲフン歴史の息吹を感じられる話も散見されます。
横井小楠の居間です。今日は日差しが春のようで縁側でのんびりできました。
今が盛りの梅です。庭には降りれなかったのでちょっとうまく取れませんでした・・・
横井小楠は地元熊本においてもいまいち知名度が低い偉人です。実際目に見える実績と言うのは松平春嶽に請われて行った福井藩藩政改革、そして新政府参与となった事くらいで、参与になっていざこれからといった矢先に凶刃に斃れてしまいます。それでも、例えば坂本龍馬の「日本を今一度洗濯いたし申候」という文言が横井小楠のパクリだったり、勝海舟に「俺はいままでに天下で恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南洲(隆盛)だ」と言わせしめたりするエピソードを見ても、横井小楠の思想的影響が如何に大きかったかを物語っています。
まぁ、そういう堅い話を抜きにしても、この四時軒。麗らかな春の日の昼下がりなんかに訪れるとほんとに気持がいいと思います。観光で訪れるには結構ハードルが高いとは思いますが、熊本に訪れる回数が多い方で、歴史好きの方、また、通りいっぺんの観光にもう飽きたYO!というヘビートラベラーの諸兄にはおすすめの場所です。
横井小楠記念館(漫遊くまもと)
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